自分のために人を育ててしまう危険を鳥から学ぶ

こんにちは!菊地若奈です。
人を育てるとき、自分はこの先にあるつまずきポイントを知っているために
予め先回りして助け舟を出してしまう。
そのことが、育てる相手にどう影響するのか?
またそれは本当に育てる相手のためになるのでしょうか?
【啐啄同時】(そったくどうじ)
という言葉があります。
卵の中から雛が殻を破って生まれようとして卵の中からつつくことを「啐」
親鳥が外から殻をつつくことを「啄」といいます。
殻を破って雛が生まれようとするちょうどその時に
親鳥が外からつついて殻を破ることを手伝う
その時、新しい命がこの世に誕生します。
しかし雛鳥よりも親鳥が先に殻を破ってしまうと、雛鳥の命が危なくなる。
早くても遅くてもいけない、同時でなければならない、危険な瞬間であることも表しています。
この言葉は、人を育てるということを考えるうえで
とても興味深い言葉です。
人は本当の意味で、人に教えることはできません。
その人が自分との対話の中で気づいたときにはじめて理解し
変容しようと殻をつつくのです。
不用意に破ってあげようと殻をつつくことは
相手を傷つけることになることをしらなければなりません。
「こうあってほしい」
「こんな風になってほしい」
そんな求める気持ちや意図を持って応援することは
相手に緊張を与え
結局はいつの日か大切な相手を傷つけることになるのです。
こうしてあげたい、ああしてあげたい
相手を大切だと思うからこそ、そんな気持ちが湧いてくるのですが
その時こそしっかりと自分の胸に手を置いて
自分に問いただすときです。
「ひょっとしてそれは自分のためではないか」
人間の精神性は生涯にわたって発達を続けます。
精神性に臨界期はありません。
人間は変化します。
変化することで安定を得ています。
良いときもあれば悪いときもあります。
どんな時でもその人の成長を信じて
自分本位な考えで相手に求めるのではなく
存在そのものを認め、成長に寄り添う。
人を育てるとは、そんなことだと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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